この記事は「デジタルハリウッドで変わった私の人生」に参加しています。
現在、私はフロントエンドエンジニアとして働きながら、副業で講師業をさせていただいたり、個人プロダクトの開発も手がけています。
大学を卒業して以降の20代の私は、ITやWeb業界とは無縁の生活を送っていました。しかし、30歳になる直前でデジタルハリウッドの門を叩き学んだことが私の人生を大きく変えてくれました。
私の30代は、20代とは大きく異なり大変だけどより充実した人生になったことは間違いありません。
今回「デジタルハリウッドで変わった私の人生」という企画を知り、応募したところ採用されました。
今回、たくさんお世話になり、私の人生に大きな変化を与えてくれたデジタルハリウッドさんに自分なりの恩返しができればと思い、本ブログを書かせていただきます。
今回のブログの主となるテーマは「20代と30代を比較した時に、人生が大きく変わったことを伝える」です。
目次
20代・IT&Webとは無縁だった私の生活・そしてデジタルハリウッドとの出会い
まずは、私の20代がどのようななものだったかについて書かせていただきたいと思います。
(30代以降との対比をさせることが目的です)
デジタルハリウッドに出会う以前の私
大学時代、私は政治学科に属していました。しかし、特に将来やりたいこともなく、悶々と過ごす時間を送っていました。
そんな中、大学3年の時にとあるきっかけで音楽(作曲)にどっぷりのめり込み、就職活動もせず、大学卒業後は約2年ほど、とあるアルバイトをしながら音楽活動に従事する日々を過ごしていました。
その後、資金枯渇(数百万の借金持ち)により音楽活動を諦めた私は、ケーブルテレビのコールセンターのオペレーター→SVをしながら、お好み焼き屋さんのホールスタッフを兼業するという生活を過ごしていました。
そんな生活を4年弱過ごしたとある時、所属していた部署が解散をするという憂き目に直面しました。
私に与えられた選択肢としては「部署移動」「仕事を辞める」の2択。
少し悩んだ結果、私は「辞める」という選択肢を取ることにしました。
実は当時の話、部署解散の少し前から、私はWebデザイナーの勉強を独学で始めていました。30歳という年齢が近づいていたこともあり、
- なんとなく「このまま30代を迎えるのもなぁ…」というモヤモヤした気持ちがあったこと
- 以前音楽をやっていたことから、なんとなく「同じクリエイティブなことをしていたから、Web業界なら自分に合うんじゃないだろうか」という何とも安易な気持ちをもったこと
以上のことから、独学でWebデザイナー関連の勉強をしていたのです。
そんな経緯もあってか、部署の解散→仕事を辞めることを決めてから色々な情報を集め始める中で、自然とWeb業界・Webデザイナー界隈へのアンテナ・感度は高くなっていました。
デジタルハリウッドさんとの出会い
そして見つけたのが、デジタルハリウッドさんの広告。
「約10万円で1ヶ月Web学び放題!」
資金枯渇で音楽をやめて以来、仕事をしながらもお金のない状態が続いていた(というか、ぶっちゃけると借金返済で精一杯だった…苦笑)こともあり、お金の蓄えがない状態が続いていた私。
そんな当時の私にとって、「10万円で1ヶ月学び放題」というプランはなんとも魅力的なものに見えたのです。
※ちなみにこの「約10万円で1ヶ月Web学び放題!」プラン、聞いた話によると、先にも後にもこの時期にしか存在しないものだったそうです。
この広告を見つけた瞬間「これだ!!!」と思った私は、即デジタルハリウッドSTUDIO新宿さんの説明会に応募。
説明会では「実はお金がなくて…」と自分の応募経緯や動機・現状を、担当の方に素直にありのままをお話させていただきましたが、快く受け止めていただきました。
説明会当日、僕はデジタルハリウッドSTUDIOに受講申し込みをさせていただきました。
季節は夏ど真ん中。8月のことでした。この時に担当いただいたスタッフさんに温かく背中を押して頂いたことは、本当に今でも感謝しています。
そして9月。デジタルハリウッドSTUDIOさんでの受講開始の時期を迎えました。すでに仕事を辞めていた私としては勝手に背水の陣のような気持ちでした。
一生懸命勉強に励むのはもちろん、当時の僕はWeb業界の人との繋がりが0でした。
だからこそ「今後を見据えてたくさんの人に自分のことを覚えてもらう必要がある!」と感じた僕は、繋がりを増やすために、変なTシャツをよく着ていったり、2リットルの水筒を持ってほぼ毎日新宿に通ったりして、とにかく顔を覚えてもらう努力をしていました。
そしてあっという間に1ヶ月が経過。受講終了の時を迎えました。
受講終了後は、デジタルハリウッドさんが当日募集されていたOJT(デジタルハリウッドの在学生・卒業生向けの実案件を経験しながらスキルアップを目指すプロジェクトのこと)のWeb制作のお仕事に関わらせていただいたり、仕事を探すための活動をしたりしていましたが、成果は芳しくなく…気づけば冬が近付く季節を迎えていました。
よくよく冷静に考えてみれば、1ヶ月やそこらでどうにかなるほど甘い世界ではありません。
しかし、当時の僕は、そんなことが理解できないほどただただ焦っていたんだろうなぁと今振り返ってみて思います。
デジタルハリウッドSTUDIOのスタッフに
そんなこんなで迎えた11月の半ば頃。デジタルハリウッドSTUDIOのスタッフさんからとあるお声がけを頂きました。
「デジタルハリウッドSTUDIOのスタッフになりませんか??」
またお金が枯渇しかけていた私を見計らってなのか、なんとも絶妙なタイミングでお話をいただいたなぁというのは今でも強く覚えています。当然ながら、当時の私には色々な意味で魅力的なものに感じるお話でした。
いくつかご提示頂いたプランの中から1つを選び、12月からデジタルハリウッドSTUDIOのスタッフとして、STUDIO渋谷の運営業務に携わるお仕事をスタート。
そして業務開始初月に、30歳を迎えることとなりました。
20代を振り返ってみて
こうして20代の自分を振り返ってみると、大学時代後半の就職活動放棄を皮切りに、自分を省みるということをほとんどせず、主体的に動くことができないままの時間を過ごしていたような気がしています。
言い換えると、非常に受け身だったということ。
- お金がなくなったから音楽をやめた
- (上には書いていないけど)当時お付き合いのあった音楽関連の人が軒並みコールセンターやカスタマーサポートに流れていたから私もその流れにのった
- 会社の所属部署が解散したから本格的に進路を考え出した
「自分がこうなりたいからこの選択をする」そんな主体的な動きができないまま20代を終えてしまったような気がします。
これは単に、何にも考えていなかったということ、そして何かをするにもまず第一に怖くて人の顔色を窺うことをしてしまっていた当時の私がいたからに他なりません。
そんなこんなで、私の20代は終わりました。
30代前半・変わり始めた方向性と自分の特性が見えた時期
デジタルハリウッドSTUDIOのスタッフとして迎えた30歳。ここからは、人生が変わり始めた30代前半について書いていきたいと思います。
STUDIOスタッフとして
先ほども書かせていたいた経緯を経て、デジタルハリウッドSTUDIOスタッフとして運営業務に携わるようになった私。
しかし、正直に言えば「クリエイターになりたくてデジタルハリウッドの門を叩いたのに、なぜ私はスタッフ側に回っているんだろう」と思うことは1度や2度ではありませんでした。
それでも、(当時の自分があまりに困窮して身動きが取りづらかったこともありますが)今ある環境で一生懸命やってみようと自分を奮い立たせ、私はデジタルハリウッドSTUDIOの運営業務に自分なりに一生懸命取り組み始めました。
特に気をつけて取り組んだのは、(無意識的にではありますが)現場感覚みたいなもの・受講生さんやトレーナーさん(先生)の目線を忘れないようにすること。
とにかく話を聞くことを積極的にしました。
その結果、自分でも思いもよらないことではなかったのですが、運営業務を経て「人をサポートする力・業務」が自分には多く備わっていることを知ることができました。
自分でいうのもなんですが、STUDIOの雰囲気はすごく良いものになり、多くの受講生さんと公私を問わない良好な関係性を気づくことができました。
受講生同士の横のつながりがたくさん生まれる環境を作ることに、私自身大きく貢献することができたと思っています。
スタッフ時代に得た人のつながり、そして運営業務を通じて自覚することのできた自分の適性は、後々の人生・仕事において大きな財産となりました。
クリエイターとして遠回りをしたことは否定しませんが、運営業務を経験して良かったと今でも心の底から思っています。
ジーズアカデミーの前進プロジェクトに参加
そんなこんなでデジタルハリウッドSTUDIOスタッフとして運営業務に取り組んでいたわけですが、1年半も過ぎると自分の中にある種のモヤモヤが蓄積されていることを感じました。
やはり、「クリエイターになりたくてデジタルハリウッドに入ったのに何故僕は今こんなことをしているのだろう?」そんな想いが再燃してきたのです。
デジタルハリウッドSTUDIOの運営業務がそれなりに上手にできるようになればなるほど、業務負担も増え、自分の時間は全て受講生サポートに捧げる…そんなことが増えていき、自分が手を動かす時間は全く取れずじまいの日々が続き、モヤモヤは増すばかりでした。
ごくたまに自分の手を動かす機会を得ても、目立った成果をあげられず、自分の力のなさを痛感するばかりでした。
悶々とした気持ちが積み重なってきていたある時、1つのプロジェクトが私の心をとらえました。
その名も「ジョブドラ」というプロジェクト。
そのプロジェクトは、参加者が約2ヶ月企業内で講義を受ける→一定の成果をあげた人に対してその企業に入社できるチャンスがあるという内容でした。
しかも、プロジェクトの対象となる会社は、当時ソーシャルゲームで一世を風靡していたGREE株式会社様。
「1発かますにはこれだ!!!(六本木)ヒルズ族になるチャンスだ!!」
そう思った私は、即プロジェクトに応募。無事に選考を通過し、プロジェクトに参加することになりました。
ちなみに、当時のプロジェクトに参加したときの記録は上のブログに掲載しているので、よければご覧になってみてください!
結果、ヒルズ族になることは叶わなかったのですが、ジョブドラのプロジェクトに参加したことは、自分にとって大きな発見をもたらすものとなりました。
元々私がデジタルハリウッドに通ったのは「Webデザイナーになりたい」「でも独学(特にPhotoshopが難しいと感じた)では厳しいと思った」というのが理由でした。
しかし、ジョブドラのプロジェクトに参加することで、Webデザイナーよりもフロントエンドエンジニアの方が自分にとって楽しい&適していると感じられたのです。
この経験は、以後の自分のキャリア形成に大きく関与することになりました。
(現にこのブログを書いている時点でもフロントエンドエンジニアをしていますしね)
ジョブドラへの挑戦がなかったら、今の自分はなかったといっても過言ではありません。
このジョブドラの企画者である現ジーズアカデミーFounderの児玉さん、そしてジーズアカデミーの現学校長の山崎先生には、この時期から現在に至るまで数々のお世話になっています。
このお二方には頭の上がらない想いです。
色々な仕事をさせていただくものの…
ジョブドラ参加直後、今までの人生に踏ん切りをつけようとデジタルハリウッドSTUDIOの運営業務スタッフを辞めることを決めた私。
そこからは綱渡りの日々でした。
転職活動をするも全くうまくいかず、転職エージェントの方を頼っても、あまりに私がブレブレだったこともあり仕事すら紹介していただけない状況。
それでも、デジタルハリウッドSTUDIOで培った人のつながりのおかげでフリーランスとしての仕事にありつき、ギリギリながらも生活のできる日々を過ごしていました。
また、先述したジョブドラがジーズアカデミーとなり学校として開講した&ジョブドラプロジェクトに参加していたこともあってジーズアカデミーにチューターとして関わらせていただきました。
まさに、デジタルハリウッドを通じた人の繋がりや諸々のおかげでなんとか生き抜くことができた日々といっても間違いありません。人の繋がりから生まれる恩恵だけで生きていた時代でした。
この当時の時点でも、私自身、将来に対する明確な目標はおろか、自分が何をしたいのかもあんまり定まっていないままの状況が続いていたのは否定しないところです。
色々な方に迷惑をかけたことも多々ありました。
それでも諦めずに生き抜こうと日々頑張ったたことで、「人生生きていれば捨てたものではない」と思えるようになり、粘り強く物事に取り組む力を養えた、そんな時期だった気がします。
続けることが正義とも限りません。時には諦めたり、何かをキッパリと捨てて別の道を模索するという方法もある意味建設的だと思います。
それでも、多くの機会をデジタルハリウッドさん・そしてデジタルハリウッドさんを通じて得られたつながりがもたらしてくれたことによって「もうちょっと頑張ってみよう」という気持ちを絶えず持ち続けることができたと思います。
30代前半を振り返ってみて
30代前半を振り返ってみると、綱渡りのような日々でした。
しかし、先述したように、今の自分の軸に繋がる経験ができ、そして20代の頃には全く考えもしなかった「自分の特性」を仕事を通じて知ることができたことは、やはり大きな財産になったかと思います。
30代後半〜40歳・自分の長所に気付けたことと、新たなる挑戦への礎
ここからは30代後半〜40歳にかけてのことを書いていきたいと思います。
たくさんの講師業経験を積み重ねる
先述したジーズアカデミーのトレーナー業、そしてデジタルハリウッドSTUDIOのトレーナー業を皮切りに、幸運にもたくさんの講師業経験を積み重ね始めたのが30代中盤でした。
トレーナー業だけでなく企業での研修、そして
地方でのセミナー講師など、関わらせて頂いたプロジェクトは数知れず。
数々の経験のおかげで、実に多様な方々との出会いを得ることができました。
また、たくさんの経験を通じて人前に立つことに全く抵抗感がなくなったこと、トークスキルが向上したことなど、この時期に経験したたくさんのことは自分のオリジナリティを形成する上での貴重な礎となったことは間違いありません。
また、2017年春から約2年間はジーズアカデミーフルタイム総合LABコースで担任をさせていただきました。
担任としてやっていることは、先述したデジタルハリウッドSTUDIOでの運営業務スタッフに近いものはあったかもしれません。
しかし、担任業務を経て、改めて自分の強みを再確認することができました。
加えて、デジタルハリウッドSTUDIOで使用される映像教材のコーディングパートの担当もさせていただくというなかなかない機会に恵まれました。
こうして見てみると、普通では経験できないようなことを多々させて頂いたんだなと思います。
フロントエンドエンジニアとしての仕事に携わり始める
しかし、デジタルハリウッドSTUDIOの運営業務をしていた時代と同じような悩みが生まれるようになりました。
加えて。現場経験がまだまだ不足していたことが相まって、自分の力のなさが教育業や講師業での力を発揮できない要因になりつつありました。
そんなタイミングで、ジーズアカデミー経由で出会ったとあるベンチャー企業さんのお仕事にありつけることになり、フロントエンドエンジニアとして働かせていただくという機会に恵まれました。
色々考えた末、ジーズアカデミーフルタイム総合LABコースでの担任業務はストップさせていただき、フロントエンドエンジニアとしての時間を主におきながら、大好きな講師業を隙間時間で続けさせていただくという方向に舵を切ることにしました。
主体性を持って取り組め始め、自分の特性が磨かれた
先述した通り、メインはフロントエンドエンジニアとして仕事をするようになったものの、好きで離れることは考えていなかった講師業は、隙間時間や業務外の時間を活用して引き続き続けていました。
なんだかんだで一定の経験をさせていただくことは続いていたのですが、自分で振り返ってみても、この時期からより主体性を持って講師業に取り組むことができ始めたような気がしています。
- 講義資料は毎回ちょっとでもテコ入れする
- 受講生同士の主体的なコミュニケーションを促すことを意識したクラス運営や講義を行う
- テクノロジーの力を活用してクラス運営の効率化を図る
などなど、自分なりの信念を持つことができたり、色々なアイディアを用いて主体的に創意工夫を行うことができるようになってきました。
大げさに言えば、「自分が本領を発揮できる瞬間・時間」が自分にもあることを確信できるようになったのです。
私は従来、自分に対して自信のない人間ではありましたが、そんな私でも自分の軸を持てたり、自分の言動に自信を持てる瞬間を見つけられたのは、紛れもなくデジタルハリウッドさんを通じて経験させていただいた数々の講師業・教育業関連の数々の経験のおかげだと思っています。
ジーズアカデミーDevコースへの入学
コロナ禍を経てエンジニアとして関わる会社は変わりましたが、引き続き本業はフロントエンドエンジニア・副業は講師業(+時々別のこと)とするという時間が続いていました。
しかし、またまた別の悩みが自分の中に生じていました。
デジタルハリウッドSTUDIOに始まる今までの活動で得られた人脈をフル活用してここまでの人生を生きてきましたが、昔の財産を切り崩すだけの感じで生きている自分を自覚、このままでは先々の人生が頭打ちになってしまうと、多大なる危機感を覚えたのです。
なんとかこの状況を打破するきっかけを得るべく、色々な方法を考えました。
その結果、ジーズアカデミー週末集中DEVコースに入学することを決めました。40歳を迎えた年です(去年ですね)。
ジーズアカデミーの中身は今までの経緯もあり私自身重々理解していましたが、重々理解していたからこそ、自らジーズアカデミーに受講生として身を置くことで、自分の今後の軸になるものを見つけるきっかけを得られることができるんじゃないかと思ったのです。
ジーズアカデミーで過ごした時間の経験記は上のブログに書かせていただいているので、よければご覧になってみてください!
結果、ジーズアカデミーに通って良かったと心から思いました。この決断をした自分を褒めたいし、40代に対する不安みたいなものは吹っ飛んだとすら思っています。
結局自分の軸は「教育業」にあるということを、ジーズアカデミーでの時間を通じて確信することができました。
30代後半〜40歳を振り返ってみて
こうして振り返ってみると、主体性を持って日々を動けるようになったのは30代後半以降だったのではないかと思います。
そのきっかけになったのは、デジタルハリウッドやジーズアカデミーを経て得ることのできた、たくさんの経験。
たくさんの経験を経たことによって、だんだんと自分の軸に気づき始めることがようやくできたと思っています。
特に。ジーズアカデミー週末集中DEVコースでの時間を経て、自分の軸だと思っていたもの(教育業に係り続けること)が確固たるものとなり、それが今後生きるための自分の中のモノサシや道標となったことは間違いありません。
一言でいえば、デジタルハリウッドを通じて様々な経験を通じて、人生「生きやすくなった」と思っています。
今後について
人よりも成長が遅く、多くの人が本来社会人として培うべきものを10年遅れくらいでようやく培えるようになった私。
遅ればせながらも人としての軸や自信を少しずつ得られるようになりました。
20代の僕は、本当何も考えずに受け身なだけで過ごしていました。
そんな僕ですが、デジタルハリウッドに出会った30代の10年間は、20代とは比べものにならないほどエキサイティングなものになり、まさに「デジタルハリウッドで変わった私の人生」に相応しいものになったのではないかと自分でも思います。
デジタルハリウッドを通じたさまざまな経験のおかげで、より自分を知ることができたのではないかと思います。
2024年の個人的な目標として「昇」を掲げました。
幸運にも、2024年度は2大学で授業を受け持つ機会に恵まれることとなりました。20代の自分からは想像もできないことです。
こんな幸運に恵まれたからこそ、今年(2024年)はもちろんのこと、今後の人生を通じて本業でも講師業でもよりさらなる高みを目指し「何歳からでも遅くはない」「人は何歳からでも成長できる」ことを体現していきたいと思っています。
40代は始まったばかりですが、今40代のうちにやりたいことに溢れています!
この歳になっても、こんなに前向きな気持ちと挑戦心に溢れた時間を過ごせることが、何よりも幸せです。
最後になりますが、今回こういった機会を与えてくださったデジタルハリウッド様、ありがとうございました。