何をもってコロナが収まったといえるのか?想像力を働かせることの大切さを今改めて思う

緊急事態宣言が解除されてから1ヶ月、東京ではまた徐々に新型コロナウイルス感染者が増えつつあります。

そんな中、直接的にも間接的にもちょこちょこ聞くのが「ぼちぼちコロナも収まってきた」という認識の元の発言です。

人それぞれ認識が違うことはあることだと思いますし、他の方のご意見を否定するつもりはないのですが、あえて個人的な意見を書かせていただくと、先述したような話を聞くと「なにをもってコロナが収まっていると認識されているのか疑問」と感じてしまいます。

緊急事態宣言が解除されたからといってコロナウイルスがなくなったわけではありません。引き続き注意をしなければいけないよ、という認識を持つべきなのは引き続き変わらないはずです。

実際6/28現在、東京では新規感染者が3日連続で50人を越える状況が続きました。

これ、3月末や4月頭よりも数字としては多いんですよね。もちろん、経路不明な感染の率が多い少ないとか、検査数の違いがあるとか、そういうことを語る方も多いと思います。

ただ、数字として感染者が増えているということは事実。数字という客観的に見ることのできる指標がありながら、なぜ収まっているという認識が広まってしまうのかは、個人的に疑問に思えるところです。

僕も人様のことは言える立場ではありませんが、このコロナウイルスと付き合いながら生きていく上で、「想像力を働かせる」ことによってとるべき行動を決めることが本当に重要になってくるなと思います。

やっかいなのが「無症状」の感染がありうるということ。

相手が感染していなくても、自分が感染しているかもしれない、常にそういう意識を働かせなければならない必要があるわけです。

自分が良ければ良い、自分は感染しているはずがない、そういう認識は捨てないといけないんですよね。

社会経済活動を維持しなければならないというのはもちろん大事なことなのですが、だからこそとるべき行動は進捗を記さなければならないわけですし、言動1つでコロナウイルスの感染者を増やすことにつながりかねないという危機意識を持って私たちは毎日を生きるべきなんだと思います。

「今のNew Yorkは東京の2週間後だ」なんて話を3月の末によく耳にしました。

幸いなことに今、東京はNew Yorkほどの感染状況の広がりがないままここまで来れているわけですが、それも私たち1人1人の努力と忍耐があったからこそ実現できていることであるのは、忘れるべきではないと思います。

僕も本音を言えばできるだけ引きこもりたいですが、やむをえずの外出をしなければならないケースもあります。

7月もできるだけ、無駄な外出はせず、自宅を中心に仕事をし、できるだけ自分の内面と向き合うことに集中していきたいと思います。

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