まわりくどさを直したいと悩む前に、自分が大切にしていることに気づけて心が楽になった

僕はよく「遠回しな言い方をするね」と言われることがよくあります。もっと直球な言い方をすることはできないのか・・・なんて言われることが多いわけですね。

僕自身も、そういう自分の特徴をよくよく理解しているつもりで、ストレートに物事を言える人に憧れているところがあります。

ただ、長年の習慣で染み付いたものって、なかなかそう簡単には直せないものなんですよね。それは仕方のないこと、それが習慣だから。

「ストレート」とか「まっすぐ」ってやっぱり気持ちいいイメージがあるし。。。。僕にはそういう領域はたどり着けないのかと悩むこともよくありました。

「何かのせいではない」理由を掘り下げてみる。

ある日、僕はふと考えてみたくなりました。

なぜ、自分は遠回しな言い方をするようになったのだろう」と。

育った家庭環境、前職の影響、色々なことが頭を駆け巡りました。

確かに、長年の中で染み付いた習慣というのは家庭環境に基づくケースも多いのではないかと思います。

ただ、そういう考え方以外にも、何かこう抽象的だけれども「ポジティブな理由」を探すことができるんじゃないか。

「何かのせい」「何かが原因で」というのはもちろんあるだろうけれども・・・そう考えました。

点と点が繋がり、自分が大切にしているものが見えた

そんなこんなで「なぜ」を掘り下げてみたら、一つのことにたどり着きました。

僕は、人との会話の中で気をつけていることがあります。

それは、冗談であったとしても、「暴言や相手を中傷するような言葉を極力使わない」ということ。
(まあ、気をつけていても、自分の意図しないところで相手を傷つける事をしていることはあるでしょうけど。。。)

例えば「バカ」という言葉を会話の中で使用するとしたら、使う前に「ちょっと乱暴な言い方になるけど。。。」といった言葉を挟んでから、会話をするようにしています。

僕の中で何かが繋がりました。

「そうか、このことが、普段何気ないところでも遠回しな言い方をしがちな原因になっているのか・・・」と。

点と点が繋がった感じで、何か心が楽になりました。

自分は「言葉の使い方」を大切にしている、だからこそその反動で、常に言葉を選ぶような感じになっているのか・・・・と。

胸を張って大切にしていることを見つけられた尊さ

今でも思います。ストレートに物事を伝えられたり、表現できた方が気持ちいいと。

でも、自分が大切にしているものが根底にあるのだとしたら、ストレートな表現が苦手なことを決して卑下することはないんだ、そうやって胸を晴れるようになりました。

ここまでの話は、僕の勝手な解釈で全部成り立っているかもしれません。

でも、自分自身の新しい気づきに繋がったなら。それでいいんじゃないかと思うんですね。

こんな風にして、例えば回りくどいなどのように「悪癖」を指摘されて悩んでいることがある人、少なくないと思います。

そんな人たちに、今回の僕の気づきを通じて、「もしかしたらその悪癖と思われている部分は何か理由があってのことかもしれない、だから気持ちを楽にして大丈夫」ということを伝えられたらと思います。

僕もこれからは、自分の大切にしているものは胸を張って言いつつ、ストレートな表現も使い分けてできるようになりたいと思いました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする