先日、不覚にも財布を落とすという出来事がありました。
東京メトロの新宿三丁目駅を利用しようと改札に入り、電車で目的地に到着した時に「財布がない・・・!」と気づいたのです。
色々と探してみた結果、なんと新宿三丁目駅の改札の前に堂々と落としてしまっていたことが判明。
たまたま改札の窓口の駅員さんが拾ってくれた→事務所に届けた、ということで、事務所に取り次いでいただき無事に財布は発見し、ことなきを得ました。
財布を探している時に興味深かったのが「財布の特徴を駅員さんに伝える」時のやりとり。
ちょっとその時のことを書いてみようと思います。
財布の特徴も人によって様々な表現をされる
突然ですが、上記の財布の写真、どんな特徴に見えますか??
お金が1円しか入っていない・・・ということはさておき。
「大人っぽい財布だ」「だいぶ年季が入っているのではないか」など、人によって特徴の表現はきっと様々かと思います。
僕が落としてしまった財布も、「紺の長財布」と改札の窓口の駅員さんにお伝えはしましたが、窓口の駅員さんが事務所に連絡をした時は「女性っぽい財布だ」という返答があり、僕の財布ではないのではないか? という疑念を持たれてしまった、なんてことにもなったのです。
あとあと考えてみると、同じ財布でも人によってこうも見え方が違うんだなぁと思い、実に興味深い出来事になりました。
仕事にも通ずる・人は経験と推測で物事を伝え、判断するということ
今回の出来事で改めて感じたのは、当たり前といえば当たり前ですが、人は「経験」か「推測」で物事を伝え、判断するという生き物なんだということ。
特に「経験」を重視するものだなぁということです。
そんな中、SnapMartのエトミホさんがnoteに書いていたのが、こんな記事。
この記事の途中に、こんな要点が書かれています。
従来の「正しさ」は未来永劫正しいと言えるのか。
素人の写真がプロの20倍以上の値段で売れる理由より引用
ああ、本当これだなと思いました。
新しいビジネスを考える上でも、デザインの仕事をする上でも、この考え方本当大事だなと。
財布1つでもこれだけ色々な見方をされるわけで、言い方は悪いですが、一度「疑ってみる」ことによって、自分の財布を取り戻すことができたのです。
新規事業考案でも、デザイン制作でも、全て過去を鵜呑みにしていたら、革新的な価値や、新しい気づきなんて生まれるはずもないなと。
自分がいかにそのことが出来ていないかも自覚し、心が痛くもなりました。
経験を重要視して判断しがちな人間という生き物。
だからこそ、経験を増やすための挑戦というのは、いくつになってもしていきたいなぁと思いました。
経験で判断しがちだからこそ、推測をしてみるという経験を増やす
ところで最近Jリーグでは、何かと暗い話題が多いです。
特に話題なのが、浦和レッズの森脇選手が、人種差別的な発言をしたのではないかという話。
この出来事に対するインターネット上の意見を見ていると、過去の言動から、森脇選手をクロと判断する意見が多いです。
今回の出来事の場合は、映像や音声などでも記録が残っている、という話も聞きますので、そういった証拠も踏まえると、クロである可能性は極めて高いんだろうなと個人的にも思っていますが、もしこういった客観的証拠がなかったとしても、おそらく僕も、森脇選手の過去の言動を踏まえて、クロだろうという意見になっていただろうと思います。
それくらい「過去・経験」を重要視するのが人間(特に日本人が?)という生き物。
僕も今まで人に対する発言で「失敗したなぁ」「後悔したなぁ」「なんであんなこと言っちゃったんだろう」と後で振り返って思うような失敗をしたことがよくあるのですが、そんな時は決まって「人の気持ちを推し量る前に、口に出てしまった」ということ。
正直、よからぬことを思ってしまうことなんて誰しもあると思うのです。
そういったことを思ってしまうのは、ある意味仕方のないこと。
でも、それを口に出す前に、「これを言ったらどうなるだろう」と推し量る、そんな機会が現代では奪われつつあるんだろうなぁ、そんなことをふと考えたのでした。
この目で確かめること、確かめられないことはきちんと想像してみること、そういった基本を今一度大事にしていこうと思った、5月の日々でした。