「どれだけ誰かに想いを馳せることができたかが仕事の質に影響する」

「どれだけ誰かに想いを馳せることができたかが仕事の質に影響する」

ここ2週間ほど、なんだかしっくりこない日々を過ごしています。やりたいことは幸いにもたくさんあるんですが、どれもを全部満足に取り組めているかというとそんなこともなく、年齢からくる体力低下、PC仕事から来る眼精疲労を基とした疲労などからくる不調も重なったりしました。

どれも良い結果を求めるだなんて欲張りなのかもしれないし、手離すべきものがきっとあるんだと思うんです。

そもそも、仕事ややりたいことの良し悪し・成果が出る出ないってどういうところから決まっていくんだろう、そんなことを最近はふと考えるようになりました。

そんなことを考えながら気づいたんです。「どれだけ誰かに想いを馳せることができたか」なんだと。

誰か、とは

誰かって、いったいなにものなんでしょうか。

相手・クライアントさん・仲間…etc. 僕であれば講師業もさせていただいているので、受講生や生徒さんもその対象になります。

もちろん「自分のやりたいこと」に関連してであれば、「まだ出会ったことのない誰か」もそうだと思いますし、自分自身」でもあるかもしれません。

ふとこんなことを考えていたとき、過去に「うまくいかなかったよなぁ」と思うような仕事について、いくつか振り返って考えてみました。

そこで気づきました。少なくとも、思ったような成果を得られなかった仕事は、明らかに「誰か」に対して思いを馳せる時間が足りなかったものばかりだったのです。

どうしてそのことに僕は気づけなかったのか。こんなにも気づくのに時間がかかってしまったのか。

僕は思わず恥ずかしい気持ちを覚えました。

想う時間、かけられてる?

仕事は時間をかければ良い成果が得られるのかといえば、必ずしもそういうわけではないと僕は思います。

スピード感というのは仕事の質や評価を測る上で1つの指標になると思います。

でも、それと「想う時間」とはまた別物。

その人・クライアントさん・その先にいる人・誰かのことを想って取り組めた仕事は、やっぱりどこかで報われたり成果が出たり、自分なりに納得のいくことがあったり、良いものが得られることばかりでした。

それは、即座に得られるものでもなく、1年後・2年後にならないと得られるものではないのかもしれません。でも、少なくとも僕は昔にまいた種をどこかで刈り取れたことばかりでした。

忙しさと、欲と。

今の仕事を始めたころは、正直とにかく実績とお金が欲しい一心で、色々な仕事を所かまわず受けていました。仕事のチャンスが来れば「それ、できます」が口癖になっていました。

そんなことを続けているうちに、自分のキャパがオーバーして、仕事を炎上させてしまったこともありました。

今思えば、そのときは自分のことばっかり考えてしまっていたんだと思います。

やりたいことがあることは、とても素晴らしいこと。目標があることは、とても素晴らしいこと。

でもそういったものを叶えていくには、定期的にやりたいことに対する想いを馳せる必要があるし、そうじゃないと自分自身のモチベーションもどこかでダレてしまう、それが節理なんじゃないかなと思いました。

「継続が大事」というのは多くのことに言えるけど、そこには「継続して自分のやりたいことと原体験に思いを馳せること」も含まれているんだろうなって思います。

意外とそれは大変。自分のやりたいことを実現するために、そのことに継続的に思いを馳せる時間・自分を大切にするための時間、きちんと確保することも忘れてはいけないし、その覚悟が必要なんだと思います。

最後に

なんとなく最近考えていることをブログにしたためるという不思議な形式になってしまいましたが、定期的に自分でこの言葉は見返して、書き換えていきたいと思います。

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