負けず嫌いの自分は解放してあげればいい。ただし向ける方向に注意した上で。

通り道

負けず嫌いの方、いらっしゃると思います。
どんな勝負でも、どんなことでも、絶対にほかの人よりは負けたくないという感情がむき出しに現れるような方ですね。

大人になって、僕だけかもしれませんが、どうも感情むき出しにすると、その方向性によっては大人げないという言葉で片付けられてしまい、いつの間にか全ての負けず嫌いが大人けないという方向になってしまっているのかなぁなんてことを、ふと考えていました。

全ての物事が勝ち負けで片付けられるわけではないけれども

当然ながら、全ての物事が勝ち負けで片付けられるわけではないです。勝ち負けを争ったって意味がなかったり、勝ち負けより自分が自分自身に対してどれだけ物事をやりとげたか向き合うことのほうが重要だったり、世の中どちらかといえば 勝ち負け以外のフィールドのほうが大きいとさえ思ってしまいます。

別に毎日誰かと争っているわけではない、むしろ争って物事が悪い方向に向かうことだってあります。

サッカーの日本代表チームに代表されるように、スポーツの世界においては、勝ち負けが常に伴います。
席数や枠数が決まっているということがスポーツにはつきものであることが多いので、勝ち負けが常に付きまとうのはある意味仕方のないところなんですよね。

となると、勝ち負けでいったら、一定の席数に入れなかった人たちは全て負けということになってしまいます。
一方、スポーツ選手において、すがすがしい気持ちで、自分はやりきったと納得した上で現役を引退される方もいらっしゃいます。

なぜ、そういった方々は、納得して引退することができるのでしょうか。
代表チームに入ったり、好成績をあげて特定の賞をもらうことなく、特定の席数や枠数に収まらなかったまま引退を迎えたとしても。

良い意味での割り切りなのか

人生では、その場その場で優先順位というものが変わってくることが多いです。
結婚、出産などがいい例ですし、仕事においても、昇進・転勤など様々な要因によって物事の優先順位が変わってくることが多いです。

だから、優先順位の変化は、良い意味での割り切りにつながり、それが成績上「勝ち」と言われなくても、納得していられるのかもしれません。

やりきれない思いだってきっとあるはず。
でも、それを超えた何かが、納得した気持ちへと、心を向かわせてくれるんだと思います。

そのいさぎよさをかっこいいと言ってくれる人もいるし、諦めずに続けることをかっこいいと言ってくれる人もいるし、結局意見なんて人それぞれ、だから周りが何を言おうが、自分が納得するほど考えられたか、そして自分がどちらにせよ最大限努力することができているのか、その点と向き合うことが大事なのではないかと思います。

悔しい思いは解放すればいい

納得のいかないことがあって、悔しい思いをするっていうことは人間にとって日常茶飯事なことです。
生きていれば、誰にだってあるでしょう。

でも、その悔しい思いの理由や原因を、人は意外と自分で認識しているのです。

大人げないという声に惑わされず、自分がどれだけ、悔しい思いを感じたその瞬間までできるだけのことをしてこれたのか、まずはそこを振り替えてみること、もしできるだけのことをしていたのなら、周りの声に関係なく、自分はこれだけのことをやったということを胸を張って声にすればいい。

僕が思いっきりそうなんですが、やりきれていない部分があると、なかなか自分のしてきたことを声に出して胸を張って言えない・・・そんなところがあるのではないかと思います。

もちろん人を傷つけたりするのはダメですから、それは避けた上で、自分の悔しい思いや負けず嫌いなところを隠す必要はない、改めてそんなことを思いました。

なんかもうひたすら思いつくがまま文章を殴り書いた感じですが、今日はこんなところです。
あえて画像も、アイキャッチ画像のみ。

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