G’s ACADEMYを前身から知る男が週末DEVコース生としてジーズに入学し直した話をきっかけとして、しっかりとこの半年で体感した想いを消化・昇華して今後の自分に生かすために、しばらく振り返りながら学んだこと、自分なりに半年の中で感じたこ、G’s ACADEMYに関係なく思ったことをブログ記事にしていきたいと思います。
僕も年齢を重ねてきたせいか、人に感化されることが多くなりました。 実際、半年間のG’s ACADEMY生活を振り返ってみても、クラスメンバーの言動や努力を見ては、良い意味で感化され、自分もがんばろうという気持ちに至った…そんな経験は数多くありました。
一方で、G’s ACADEMYでの生活がどうという話ではなく普段の日常からG’s ACADEMY入学以前を思い返してみると、「人の気持ちを変えようとして自分が疲弊してしまっていた」ことが何度となくあったなと思いました。
今回は、そんなことをつらつらブログに書いてみたいと思います。
目次
人の気持ちを変えようとするから疲弊する?
人とコミュニケーションをしているときに、「あ、これは今自分が人の気持ちをコントロールしたり、変えようとしている」と感じることがあります。
相手がどう考えているのか?探り探りになってしまっているときに、そんな自分が見えてしまっている時があるなと振り返ってみて思いました。
そして、そういうときは決まって、自分の心が疲弊していることにも気付かされます。
自分の考えや言動に相手を従わせたり合わせさせようとしている、そんな自分が見え隠れすると、「相手が何を考えているかわからない」「相手の気持ちがわからなくて不安だ」という方向に自分がいたってしまい、いてもたってもいられなくなってしまったり、やるべきことが手につかなくなったり… そんな経験がこれまで何度となくありました。
人によってコミュニケーションの仕方は違うという事実
でも、当たり前といえば当たり前なんですが、人によってコミュニケーションの取り方や感情の出し方って違うんですよね。
ストレートに喜びや悲しみを爆発させる人もいれば、最初はスロースタートだけど徐々に喜怒哀楽を出していく人、あまり表情には出さない人、本当に色々な方がいると思います。
そして、一つの物事や出来事に対して、人によっての捉え方が違うのも事実です。
だからこそ、何かが起きたときに相手が自分と同じような感情の出し方だったり、自分の意図しない言動をしたとしても、それは当然であり、そういった部分をコントロールしようとする前に、一呼吸をおいて相手の気持ちやパーソナリティを考え、できるだけ尊重した上で自分の考え方を伝えるのがいいのではないか。
最近の僕はそう思うようになりました。
相手の感情の伝え方やパーソナリティが全部自分と同じわけではないのです。世代での違い、男女での違い、人により気持ちの出し方や表現の仕方には色々千差万別あって当然なのです。
それを踏まえた上で、「自分はこう思っている。この出来事に対してこう思っている」という気持ちをしっかりと伝えること。
それが1番大切なのではないかと今の僕は思うようになりました。
人の気持ちを動かすのは情熱
一方で、人の気持ちを動かすのは情熱なんだということも、G’s ACADEMY DEVコースの半年の生活の中で改めて思い知ることとなりました。
僕はたまたまプログラミング経験者でしたが、クラスメイトの大半はプログラミング未経験の状態で入学されています。
そんな中でみなさんなりに自分のやりたいことに向かって必死に努力し、自分のやりたいことを成し遂げるためであればどんな困難も厭わずに挑戦する…そんな姿をたくさん見てきました。
卒業1ヶ月前からモバイルアプリ開発のためにSwiftを始めた方、それこそ僕が一緒にチーム開発をした「社長(G’s ACADEMYを前身から知る男が週末DEVコース生としてジーズに入学し直した話を参照)」さんのように、自分のやりたいことのためならピボット(方向転換)もためらわずに行えるような方(たぶん僕にはない勇気)、自分のやりたいことのために会社をやめてしまった方、本当に凄まじい方をたくさんみてきました。
冒頭にも書きましたが、そういった方々に僕も何度となく心動かされました。
何度となく「社長」さんの話を出して申し訳ないのですが、一緒に開発を進める中で「社長」さんの芯の強さを知り、何度となく僕の心が動かされたことは間違いありません。
人の気持ちを動かすのには、強い信念・太い芯みたいなもの…そういったものが不可欠であり、そこからくる「普通ではできないような決断・行動」も不可欠である、この半年で僕は改めてそういったことを学びました。
僕自身は人を動かすほどの情熱を出せたのか?
かくして僕自身はどうだったのか??
ここ最近のブログでも書きましたが、自分の卒業制作に対して最後の最後まで迷いや悩みがあったのは事実でした。だから、人を動かすほどの情熱を自分が卒業制作に際して制作したプロダクトに注ぎ切れたのかは、正直何ともいえません。
一言で言えば、いまいち自信が持ち切れなかった、と言えることができます。
セレクションの1日前に卒業生の方に壁打ちをしてもらった時に、ようやく少し自分のやってきたことに自信が持てるようになった部分もあったかもしれません。
G’s ACADEMYを前身から知る男が週末DEVコース生としてジーズに入学し直した話でも書か瀬ていただいた通り、残念ながらプレゼン大会(GGA)に向けたセレクション(予選会)に通らずに僕のG’s ACADEMY学生生活が終わってしまったことは何度となく書かせていただきました。
皮肉にも、半年の想いを込めて書いたG’s ACADEMYを前身から知る男が週末DEVコース生としてジーズに入学し直した話が1番人の気持ちを動かせたのかもしれません。
人の気持ちを動かす情熱というのは、一体どういったものなんでしょうか。
そう考えると、僕がG’s ACADEMY入学にあたって掲げた目標を実現しようとした上での自分の言動や情熱に関しては人の気持ちを動かせるほどのものがあったのかもしれませんが、
「本当に自分が救いたい・力になりたい」と思っている人たちに対しての想いや情熱はまだ人を動かせるほどのところまでは足りなかったのかもしれません。
想いをめぐらす時間がまだまだ足りなかった、もしかしたらそこに尽きるのではないかと、このブログ記事を書きながらだんだん沸々とそういった想いが湧いてきました。
情熱のベクトルの向き先はどこに?何のためのベクトル?
G’s ACADEMYでの卒業制作において、僕がテーマとしたものは「教育関係」であり、それは僕が30歳以降長い時間をかけて携わってきたものでした。
長い時間をかけて悩んで、たどり着いた上でのテーマ(というか原点に帰ってきた感じ)なので、そこについては納得していません。
そして今後も「教育関係」に携わりながら生きていきたい、今後の人生の主軸にしていきたいという気持ちも変わりません。
ただ、今後の人生の中で僕は教育業を通じて誰にどんな価値を届けて、どんな世界づくりを目指していきたいのか?
この点については、引き続きしっかりと考え続け、時には人に話を聞いてもらいながら、次の半年をかけてしっかりと想いと情熱を熟成させて、より強い芯を自分の中に持てるようにしていきたいと考えています。
自分の情熱にいまいち自信が持てないと悩んでいる人へ
僕のように、自分の情熱にいまいち自信が持てないと悩んでいる人がもしこのブログを読んでくださっていたら…
そんな人に僕から贈りたい言葉たちがあります。
僕は、基本的に人はどんな人でも情熱を持てる瞬間を持っていると信じている人間です。きっとあなたにもあると思います。
もし悩んでいたら、誰かに聞いてみてください。きっと自分にとっての当たり前が、人から見たら「ものすごい情熱を注いでる」光景に見えることもあると思います。
自分の意図していた瞬間・時間と自分が実際に情熱を注げている時間が違っている可能性もあります。
それはそれで悪いことではないので、差分をしっかりと認識した上で、差分を埋める努力をするのか、実際に情熱を注げている瞬間をもっと大切にしてあげるかを考えてみるといいかもしれません。
なんだか途中からまとまりのなく、勢いだけのブログ記事になってしまいましたが、書きながら想いが加速していった感じがあるので、それもまたいいでしょう。