物事を教えるときに重要な「飽きさせない工夫」。悪い「慣れ」を防ぐために

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僕は仕事がら人に物事を教えるという仕事もしています。そして現在は仕事の傍ら中国語(繁体字)の勉強をするなど、自分が教えられる側になる機会もそれなりにある状況です。

仕事でも勉強でも、新しいことを始めるときは刺激あふれてワクワクするもの。しかし人間は良くも悪くも慣れの生き物で、どんなに意欲をもって始めた物事にも、途中で「慣れ」が生まれるものだと個人的には思っています。

僕自身も、楽しんで中国語の勉強をしてはいますが、勉強を始めてから1年と4か月の間には、モチベーションが下がったり悪い意味での慣れが発生してしまっていることもありました。

もちろん、最終的にはその人自身の問題になってくるのは言うまでもないと思います。

一方で「教える側」の人にもそれなりに工夫すべきことがあるんじゃないかなぁと最近考えるようになりました。

人が慣れてしまう原因・・・先が読めてしまうこと

僕はサッカーが好きで、これまでサッカー日本代表の試合を見るために仕事を早く切りあげてテレビの前に座って待機するほどサッカーの試合を見るのを楽しみにしていた時期が長くありました。しかし、2019年1月に行われたアジアカップを最後に、東京オリンピックを除き、ここ最近テレビでサッカー日本代表の試合をリアルタイムで見るという機会がすっかりなくなってしまいました。

ネット上では代表監督である森保監督の采配に対して批判的な声があります。僕自身も2019年のアジアカップの時点で森保監督に賛同できないなぁという思いが芽生えてからリアルタイムで試合を見ることがなくなってしまったので個人的にはネット上の声に賛同です。

森保監督が批判される理由の1つに「メンバーの固定化」「采配の固定化」があります。ちょっとサッカーの分かる人なら誰がメンバーになってどんな采配が行われるか読めてしまうという趣旨のものです。

この批判の是非は別にして、この話から「人が悪い慣れを起こしてしまう原因」が垣間見えるなぁと思ったのです。

つまり「先に何が起きるのか」が読めてしまうということですね。

ドラマや映画なんかでも、先の展開が読めてしまうと「つまらない」という感想を抱いてしまうこともありますが、これも同じことが言えると思います。

物事を教える機会において飽きさせないための工夫

では、物事を教える機会における「慣れ」とはどんなことでしょうか??

例えば、授業の仕組みが固定化されすぎてしまっている、やることが決まりきっている・・・挙げれば色々と出てくると思います。

先ほど挙げたような例とまさに同じで、「次はこれをやるんだろうな」というのが読めすぎてしまうと、飽きや悪い慣れにつながるのではないかと思います。

そういう意味では、人に物事を教える際にも、良い意味で先が読めない工夫をするというのは非常に大事になってくることだと思います。

授業の内容がその場しのぎになってしまうのは大いに問題がありますし、構成を毎回頻繁に変えると教えられる側もそれはそれで戸惑ってしまうと思います。

それでもやれることは色々あると思います。、例えば宿題の出し方・構成を少しずつ変えてみたり、急にテストをしてみたり(笑)

そういった方法を通じて、教えられる側にとって「先の読めない」状態を作ることで、良い意味での緊張感も生むことができます。

教える側が様々な試行錯誤を繰り返し、教えられる側に「次に何が出てくるかわからない」という気持ちを仕向けることで、悪い意味での慣れも生まれずらくなり、飽きが来なくなるのではないかと思いました。

僕自身、授業で空きさせないための工夫として、同じ内容の授業を行うとしても資料の完全なる使いまわしというのは絶対に行いません。

毎回必ず内容の見直し・ブラッシュアップをちょっとでも行うことを心掛けています!

同じメンバーが授業を受けないとしても、必ず行います!そういったことを続けることで、試行錯誤していることを教える側にも伝えることができるし、良い緊張感を生むことができると信じているからです。

まとめ

ということで、今回もコラムっぽい感じでブログをお送りしていました!

久しぶりに連続してコラムっぽいブログを書くと、Arrownの初期を思い出しますね!こういった内容をブログに書いて考える習慣をつけることもArrownを始めた理由の1つでした!

ここのところ技術的な解説が続いていたので、また原点に立ち返って楽しんでブログを書いていきたいなと思っています!

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