自由とは「起きたことに対して自ら考え方や見方を矯正できること」ではないだろうか

このブログを書いている2021年10月中旬、長く日本を苦しめているコロナウイルスの感染者数が減少傾向にあります。

まだまだ油断はできないものの、このまま減少傾向が続き、何も気にすることのない日常がくれば良いなぁと願ってやみません。

コロナ禍が長く続いたことによる外出制限やテレワークの影響で、以前よりも直接対面という形でコミュニケーションを取ることが著しく減った方も多いのではないかと思います。

僕もその通りで、1番最初に日本全国に発令された緊急事態宣言が発令されて以降、基本的には完全在宅ワークで仕事をすることが中心になっています。

個人的には引きこもって仕事をすることは全く苦にならないタイプなので、特に問題は感じていなかったのですが、先日コロナ禍の影響を僕設けているかもしれないという出来事がありました。

簡単にいうと「ストレス耐性に弱くなったこと」です。

コミュニケーション量の減少・限定による弊害

リモートワークが続くと「コミュニケーションを選択できる」という側面があります。

巷でよく言われるのが「あまり乗り気でない飲み会に行く必要がない」ということですが、つまりコロナ禍によってある程度「コミュニケーションを選択できる」環境が生まれたり続いたのではないかと思いますし、コロナウイルスを理由に対面コミュニケーションをとる機会を選択しないということが増えました。

そうなると、言葉は悪いですが、「自分が好きではない、望まない環境を避ける」ことが容易にできるようになったわけです。

やろうと思えば「自分の好きな人とだけコミュニケーションを取る。あまり合わない人や考え方の異なる方とコミュニケーションを取る機会を制限する」ということも、不可能ではないかもしれません。

人間の抱えるストレスの原因の大半は「人間関係からくる」ものと言われています。

なので、リモートワークによって人間関係によるストレスが少なくなる可能性も否定できません。

しかしながら、それが必ずしも良いこと・自由に繋がるのかというと、そうではないと最近思うようになりました。

その理由として「ストレスに弱くなり、ストレスが生じる機会が生まれたときにより大きなダメージを負いやすくなる」ということです。

好きな時間に好きな人とだけ仕事をするのが自由なのか?

僕のように多少なりともWeb業界に絡んでいると、「Webの世界は自由ですよー」「PC1台で仕事できますよー」といったように、Web業界は自由な働き方ができるということを謳い文句にした広告を見かけることがよくあります。

確かにそういう側面もあるかもしれません。しかし、自由な働き方・そもそも自由とはどういったものなのでしょうか。

Web業界であってもお金をいただいて仕事をする以上は「クライアントさん」が存在します。世の中に向けたWebサービスであっても、より多くの人にお金を出してもらえるかが重要になってくるわけです。

つまり「一人で仕事が完結する」なんていうことは基本的にありえないわけなのです。人とのコミュニケーションがあってのビジネスなわけですよね。

仕事をしていれば、自分の予期しないこと・思い通りにならないことが起こることもありえます。そうなった時に、いちいち大きな精神的ダメージを負ってしまっていたら、仕事も手についたものではなくなってしまうのです。。。

そんな状況よりは、普段から人とのコミュニケーションを通じて、その力を磨くことで「うまくいかないことや予期しないことが起きても、自分自身で自分の心を上手にコントロールして適度に受け止めつつ、適度なタイミングで気持ちを切り替える」ようにすることができる、これが本当の自由なのではないかと思うのです。

人間ですから、自分と考え方が合わない人が存在するのも当然です。しかし、そういった方とのコミュニケーションが全くないまま生きていられるかというと、決してそんなことがないのも事実。。。

だったら、そのことを受け止めた上で、全ての出来事を「自分のコントロールを上手に行う力を身につけるための良い機会」ととらえて生活していた方が、より良いのではないでしょうか。

まとめ

ということで、今回は「自由とは「起きたことに対して自ら考え方や見方を矯正できること」ではないだろうか」という内容でブログを書かせていただきました!

この前ふとした出来事から思ったことだったので、駄文ではありますが、自分のためにもブログを書いてみました!

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