繋がりは「育むもの」

ここ最近、色々あった自分の環境を切り替えようと思い、週1程度でとあるコワーキングスペースに通うようにしていました。

そこでの僕はどちらかというと黙々と、淡々と過ごして仕事に集中するような、そんなスタンスで過ごしていました。

何度か足を運んだある日、朝1くらいに足を運んだタイミングで、スタッフの方にこう言われました。

「初めてのご利用ですか?」

あ、あれ…

自分が全く認識されてないことに気づき、心が生じきざわめいてしまったことに気がつきました。

いやいや、ただ認識されてなかったというだけじゃないか。事務的にまずはそう聞かないといけないのかもしれない、そういうことを考えていたものの、どうにもその場にいることが居た堪れなくなり、僕は家に戻る選択をとってしまったのです。

このざわつきは、僕が人との繋がりにおいての切実な願いが隠れているな、そう感じました。

理想と現実のギャップ

家に帰り、改めて冷静になってあの時の感情を分析してみました。

そこには、僕自身の「期待」という名の罠があったことに気づかされたのです。

「定期的に通っているのだから、顔を覚えてもらえているはずだ」

そんな淡い期待が、現実とのギャップを生み、ざわつきに繋がったのだと感じました。

でも、よく考えてみると…

僕自身もスタッフの方々の名前を一人も覚えていなかったのです。

つながりを一方的に求めながら、自分からは何のアクションも起こしていなかったというわけなのです。

その矛盾に気づいた時、恥ずかしさで顔が熱くなりました。

「僕が本当に求めている「つながり」とは何なのだろう。」

心の奥を探っていくと、一つの温かい記憶が蘇ってきました。

数年前に通っていたジーズアカデミールの元クラスメイトたちとの関係性。

共通の目標に向かって切磋琢磨し、何でも気兼ねなく話し、お互いの成長を心から喜び合えた仲間たち。あの頃の関係は、努力して築いたものではなく、同じ時間を共有する中で自然に生まれた、かけがえのない宝物だったのです。

でも、あの美しい記憶が、逆に今の僕を苦しめているのかもしれない。自然に生まれるのを待っているだけでは、もうあのような関係は手に入らないのだということを認識し、理想と現実のギャップを感じたのです。

行動の先にあった、思わぬ気づき

このままではいけない。僕は小さな一歩を踏み出すことを決意しました。

  • 確定申告の忙しい時期でも、意識的に外出の機会を作る。
  • いつもと違う、新しい飲食店を開拓してみる。
  • 行きつけのカフェで、勇気を出して店員さんに話しかけてみる。

どれも些細な行動。でも、何もしないよりはずっといい。あの寂しさを二度と味わいたくない一心で、僕は自分を奮い立たせようと思いました。

相手の反応を気にしすぎたり、気の利いた言葉を探そうとして空回りしたり。

かつての僕は、人との関係を深めるには「読解力」が重要だと信じていました。

相手の意図を正確に読み取り、完璧な反応を返すこと。それができれば、うまくいくはずだと。

しかし、この小さな挑戦を続ける中で、僕はもっと大切なことに気づかされたのです。

ある日、カフェで店員さんの趣味の話を聞いていた時、僕はただ「へえ、面白いですね!」と相槌を打つことしかできなかった。でも、その店員さんはとても嬉しそうに話を続けてくれた。その時、ハッとした。

完璧なコミュニケーションなんて存在しないのかもしれない。

大切なのは、相手を理解しようとする姿勢と、違いを受け入れる「受容力」なのではないか、と。

「そんな考え方もあるんだ」

「そういうことに情熱を注いでいるんだ」

この素直な驚きや感動こそが、人と人との心の距離を縮めるのだと実感しました。

過度な深読みや分析は、時として相手との間に壁を作ってしまう。

それよりも、相手の世界に素直に足を踏み入れる勇気の方が、ずっと重要だったのだと気付かされたのです。

自分自身を受け入れるということ

この「受容力」という発見は、僕の内面にさらに深い変化をもたらしました。他者を受け入れるためには、まず自分自身を受け入れなければならない、と。

あの日のコワーキングスペースでの寂しさも、以前の僕なら「情けない感情だ」と蓋をして、見ないふりをしていたかもしれない。でも、その感情こそが、僕に大切なことを教えてくれた成長のきっかけだったということです。

怒り、悲しみ、不安、そして寂しさ。そんなネガティブな感情も含めて、「これも自分なんだ」と受け入れること。それができて初めて、他者の持つ多様な感情や価値観も、同じように受け入れることができるのかもしれません。

つながりは、育んでいくもの

コワーキングスペースでの小さな出来事から始まった僕の内省は、「つながりは自然に生まれるのを待つのではなく、自ら育んでいくものだ」という結論にたどり着きました。

それは、相手を理解しようとする努力と、相手の在り方を受け入れる柔軟性、そして何より、自分から歩み寄る小さな勇気の積み重ねなのです。

今でも時々、あの日の寂しさを思い出します。

でも、今はもうその感情を恥じることはありません。

なぜなら、あの寂しさこそが、僕を本当のつながりへと導いてくれた、かけがえのない道しるべだったとさえ思います。

人との関係は、完璧な理解から始まるのではないんですよね。

不完全な僕たちが、お互いの不完全さを受け入れ、それでもなお関わろうとするところから、温かい物語が始まっていくのだということを、一連のことや、あの日の寂しさが、静かに教えてくれたような気がしています。

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